2021年3月20日、「サンドのぼんやり~ぬTV 震災から10年 ありがとうを伝えたい」の放送にて、気仙沼で被災した千葉瑛太さん(当時19歳)が出演されていました。

番組を観て、生き残った父子が家族の死を乗り越え、夢を叶えていく姿に胸を打たれました。
それと同時に、自分自身の人生を叱咤された気持ちです。
命を無駄にせず、意味のあるものにせねばと改めて思わずにはいられませんでした。
今回は、そんな将来有望な千葉瑛太さんの出身高校・大学、家族への手紙、彼女などについてまとめました!
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「希望ののむヨーグルト」は千葉瑛太さんのお父様が販売されています!
千葉瑛太の大学・高校はどこ?
志望校合格しました!!
— えいた 24日後に英国紳士🇬🇧 (@eita_311) January 25, 2017
応援ありがとうございました!!
これからも頑張って行きます💪🏻✨
千葉瑛太さんの出身高校は、上記のツイッターのつぶやきの通りであれば、創価高校かと思います。
当時は甲子園を目指されていたようです。
大学は、東京都新宿区のNIC International College in Japanだそうです。
2020年4月から入学し、社会学を専攻。
イギリス留学に向けて、語学や、イギリス文学、芸術、歴史の勉強を頑張っておられます。
ちなみに野球は小学3年生から硬式の野球チームに所属。
ですが、震災後はなくなってしまったので、転校先の小学校の少年野球チームに所属されました。
千葉瑛太のプロフィール
名前:千葉瑛太(ちばえいた)
生年月日:2001年4月21日
年齢:20歳
星座:おうし座
出身地:宮城県気仙沼市
六星占術:水星人-
Twitter:@eita_311
Instagram:eita_311
facebook:千葉 瑛太
YouTube:千葉瑛太 【3.11と共に生きていく】
受賞歴:DREAM世界一周コンテスト2021 セミファイナリスト
千葉瑛太さんは、現在YouTubeを開始。
小学校3年生の時に3.11を経験して10年がたった今、自身がどのように変わっていったのか、どのような想いで今を過ごしているのかを、語られています。
東日本大震災の様子も詳細に語られているので、ぜひ世界中の人に観てほしい動画です。
若い人が積極的に伝え続けてくれるのは、本当にありがたいことですね。
千葉瑛太が経験した3.11
津波で、母(美奈子さん当時41歳)、妹2人、祖父母の家族5人を亡くした千葉瑛太さん。
2011年の南気仙沼地区合同慰霊祭では、当時10歳だった千葉瑛太さんは家族への想いをこのように語りました。
「ママ 仕事をしているのにいつも送り迎えや学校の行事に参加してくれてありがとう。
旅行にもたくさん行ったね。
まだまだたくさん行きたかったのに。
でもみんな天国に行っちゃったんだよね。
いつまでも天国からパパと僕を見守ってください。
最後に僕は千葉家の家族に生まれてきてくれて良かったです。
ありがとう。」
まだ10歳なのに、涙をぬぐいながらマイクに向かって話す姿にもらい泣きをしてしまいました。
どれだけ仲の良いあたたかいご家族であったか、言葉の端々から滲み出ていると思います。
その後、父・清英さんと岩手県のバッティングセンターに通ってた千葉瑛太さんは、もっと近くで野球の練習をしたいと思い、「気仙沼にバッティングセンターを作ってよ」とお願いしました。
そして父・清英さんは息子との約束を果たすため、会社で新商品を開発するなど、資金集めに奔走。
その時に開発された「希望ののむヨーグルト」は現在も販売されています。
\後味スッキリで美味しい!!/
そして2014年3月11日、完成間近のバッティングセンターにて、千葉瑛太さんは初めてTVの取材でサンドウィッチマンさんと会いました。
富澤さんに「子供との約束ですもんね」と言われ、父・清英さんは「男に二言は無い」、と。
伊達さんが「千葉さんかっけ~な~」とおっしゃっていましたが、本当にこんな素敵なお父さんだからこそ、瑛太さんもご立派に成長されたのでしょうね。
当時の千葉瑛太さんは「5億円プレーヤーになりたい」と話して、周囲を驚かせていました。
今、野球はされていませんが、きっといつか別の形で5億円プレーヤーになることでしょう。
「気仙沼フェニックス」オープン!
そしてその半年後の2014年3月30日、ついにバッティングセンター「気仙沼フェニックス」がオープン!
千葉さん親子は気仙沼の復興のシンボルとなりました。
そんな親子の感動の物語は、なんと書籍にもなっています!!
\感動と勇気のノンフィクション!!/
ぜひご一読ください!!
震災から10年・当時の思い
2017年3月に面瀬中学校を卒業し、高校生から東京で生活。
父・清英さんはこう語ります。
「震災直後にこの子を気仙沼に置いたら、もしかしたらだめになる。
家庭環境も全て変わってしまったんで東京に出そうと決めた。
この10年間で人の人生で味わうことを全部味わってしまったような。
これからは自分のために精一杯楽しんで生活してほしい。」
東京での生活は4年目になる千葉瑛太さん。
高校を去年卒業し、今は来年のイギリス留学に目指して専門学校に通っています。
震災から10年、当時の思いをこう語っています。
「直接は(家族が亡くなったのを)言われていないような気がしていて、多分自分で察したのもあったと思うし。
当時は、ああそうなんだ、と、でも、う~ん、悲しいということすらも現実として捉えてなかったのかな。」
現実を受け止めきれないほどの辛い経験をされながらも、新たな夢の実現を目指すその原動力とは?
「震災がきっかけで東京に来て東京で出会った友人。
友人の存在というのがすごく支えになっていて、もちろん震災前にいた友人もそうですけど。」
そんな千葉瑛太さんが、いまありがとうを伝えたい人とは誰なのでしょうか?
千葉瑛太が震災から10年・ありがとうを伝えたい人
千葉瑛太さんは、亡くなった母、妹2人、祖父母の家族5人に向けて、番組のなかで感謝の手紙を読まれました。
「ママ、くるみ、祐未、おじいちゃん、そしておばあちゃんへ
もう20歳になるよ。
今回何を書こうか迷って一番最初に思い浮かんだ言葉がこれでした。
私は親父と2人で元気に過ごしています。
みんなとお別れをした10年前から今日までたくさんの事がありました。
学校を転校したり自分の他愛もない一言からバッティングセンターを建てることになったり。
仮設住宅には6年も住みました。
高校は上京して寮生活。
たくさんの素敵な友人と出会ったり、留学をしたり、旅に出会いました。
旅の魅力にとりこになった私は、自転車で東京から宮城に帰ったりヒッチハイクもしました。
そして来年の秋からはイギリスの学校に進学します。
たぶんみんなは信じられないだろうね。
3.11は私のたくさんの大切なものを一瞬で奪っていきました。
でも今の自分があるのは3.11のおかげです。
つまりみんなの大切な命と引き換えに尊敬できる素敵な友人、仲間とご縁を結ばせていただいたり、貴重な経験、チャンスを頂きました。
だから私はみんなの分まで一生懸命生き抜かなければいけません。
10年を迎える今、気づいたことがあります。
それは東日本大震災が私の人生を変えてくれたということ。
でも、今みんなの前で1つ言わせてください。
今日からは自分自身で人生を変えていく。
みんなが見たことのない新しい世界を自分なりに自分のペースで拓いていきます。
時には無茶なこともすると思うけど、そんなときも私の挑戦を温かく見守っていてください。
大丈夫、私の周りには家族のように温かい仲間が、そして心強い親父の存在があります。
安心して私に託してください。
千葉家の自慢の息子 瑛太より」
すばらしいお手紙ですね。
気仙沼を世界一にするという夢もあるそうで、今のこの瞬間を一生懸命生きていればいつか点と点がつながる日がくると思うと話されています。
そんなとても19歳(当時)とは思えないほど精神的に大人な千葉瑛太さん。
彼女さんはいるのでしょうか?
千葉瑛太に彼女はいるの?
2021年現在、彼女がいるそうです。
サンドウィッチマンさんに聞かれて答えていました。
彼女さんの事を大切にされていそうなイメージです。
千葉瑛太の大学・高校はどこ?まとめ
以上、『千葉瑛太の高校・大学はどこ?3.11を父と乗り越えイギリス留学!サンドのぼんやり~ぬTV』をお送りしました。
ご立派に成長された瑛太さんのことをみて、天国のご家族の方は涙を流して喜ばれているはずです。
そして3.11のおかげという言葉が公にでたのは初めての事でしょう。
10年目という節目を迎え、全体的に大きく意識が変化してきたのだと思います。
東日本大震災のことを語るのはとても難しいのですが、19歳の子がしっかりと伝え続けている様子をみて、年上の私は感心するばかりでした。
これからもお元気で、世界中で益々ご活躍されることをお祈り申し上げます!!
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